昭和2年(1927)5月1日創業 | 初代 田野辺隆三 初代・田野辺隆三が芳賀町稲毛田において個人経営で運送業を始めました。1トン積みの小さなトラック一台(ダットサン)からのスタート。農産物など地域の貨物を一生懸命運ばせていただきました。 芳賀町祖母井の最初の本社 芳賀町芳志戸からの梨の出荷風景 |
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戦時中:国家の政策により宇都宮地域の複数の運送会社10数社と企業合同 国民も弊社も苦難の時代でした。 |
写真は学生時代の充男 隆三の長男充男は宇都宮に下宿して宇都宮市商業学校(現在の県立宇都宮商業高校)に通っていました。 |
そしてようやく平和な時代となりました。 | 昭和24年充男が宇都宮市商業学校を卒業し隆三とともに家業に従事。終戦まもない苦しい時代を二人でなんとか乗り越えていきました。 当時は木炭車の時代。経済発展もまだ十分ではなく運送の仕事も少ない状態でした。仕事を求めて、馬力の無い車で会津の山奥に出稼ぎに通い、材木を運びました。 |
昭和32年6月1日合同会社が解散し再び独立 しかし経営の苦しさは続きました。 |
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昭和34年1月隆三が脳内出血により58歳で突然の死去 | 田野辺充男が若くして後を継ぎましたが、お通夜の席で借金の催促もあるなど厳しい状況でした。 初代隆三の葬儀 二代充男は前列右から二人目 |
昭和36年5月1日有限会社田野辺運送店を設立 | 田野辺充男、代表取締役に就任。従業員2名のスタートでした。 移転した2軒目の祖母井本社(昭和36年) オート三輪で集荷しトラックに積み替えて東京に運びました |
昭和42年1月宇都宮市氷室町に営業所を開設 同年4月、田野辺充男芳賀町町議会議員になる |
昭和40年代前半の氷室営業所と従業員 戦後の経済成長とともに仕事もだんだんと増え、従業員は20数名となりました |
昭和45年祖母井本社を建て替え | 本社の前はまだ舗装してなくて雨のときには大変でした。 |
昭和46年氷室営業所新社屋落成 | 同年 充男、県議会議員に当選、以後5期務める。 |
昭和48年(1973)第一次オイルショック | 原油価格の高騰による燃料費の値上がりは運送会社にとって死活問題となりましたが、苦難の時代も従業員一丸となって乗り切ることができました。 従業員野球チーム(昭和49年撮影) |
昭和54年 第二次オイルショック | |
平成元年(1989)営業所を芳賀町芳賀台の芳賀工業団地内に新築し移転 | 同年 田野辺充男、栃木県議会議長に就任 平成3年田野辺充男、芳賀町長に就任。以後2期務めました。 この3つの標語は田野辺運送店のもうひとつの社訓です。 |
平成8年(1996)本社社屋を建て替え | |
その後の平成の時代には、倉庫も順次拡張整備し、顧客の利便性を高めました。リーマンショックなど厳しい波が押し寄せましたが、何とか運送業を続けていくことができました | 当時の芳賀工業団地営業所倉庫 倉庫整備に尽力した田野辺昭夫常務 |
平成29年(2017)12月1日 田野辺隆男 三代目社長に就任 | 先々代、先代の教えを受け継ぎ、田野辺運送店は100年企業を目指します。 |
令和元年(2019)12月 MS HOLDINGSグループに参入 |